レイモン・アッソ 1901年ニース生まれ。
作詞家として成功するまで、羊飼いや工員などさまざまな職業を経験した。
アッソを引き上げたのはマリー・デュバだった。彼女は無名のアッソの詞でマルグリット・モノー作曲の「私の兵隊さん」そして「外人部隊の旗」を歌い成功させた。
その頃、こちらもまた無名だったモーム・ピアフ(エディット・ピアフ)に出会い、彼はマリー・デュバが成功させた2曲を翌年ピアフにもレコーディングさせ大ヒットさせる。アッソはピアフを徹底的に磨き、その関係は36年から彼が入隊する39年まで続いた。
その後、彼はピアニストで作曲家のクロード・ヴァレリClaude Valeryと結婚し、名コンビとして数々の名曲を生み出した。
アッソ68年没、クロード夫人92年10月この世を去った。
<代表曲> ![]()
私の兵隊さん 〜 Mon legionnaire 外人部隊の旗 〜 Le fanion de la legion 小さなひなげしのように 〜 Comme un p'tit coquelico 恋がいっぱい 〜 Y'a tant d'amour ニノン、私のニネット 〜 Ninon, ma Ninette 明日 〜 Demain