シャルル・アズナブール 1924年パリ生まれ。両親はフランスへ亡命したアルメニア人。
小さな頃から、姉のアイーダと共に児童劇団に所属していた。
39年の開戦後、15歳のアズナブールは新聞売りや、闇屋まがいの生活をして暮らすが、街に娯楽が戻ってくるとナイトクラブで歌うようになる。その頃、作曲家でピアニストのピエール・ロッシュと出会う。
ロッシュは若手の作詞家、作曲家、そして歌手で構成されていた"シャンソンクラブ”の会長を務めており、彼等は昼はレッスン、夜はキャバレで日々を過ごし、幅広く活動していた。
アズナブール作詞、ロッシュ作曲で多くの作品を作り、二人でデュエティストとして活動するほかにも、たくさんの曲を歌手たちに提供した。曲を提供した歌手の中ではピアフと最も深い親交があり、弟のように可愛がられていた。
ロッシュがカナダでアグラエと結婚した頃から、アズナブールはソロでの活動を始める。この頃のピアフの恋人はジャック・ピルスであったが、その伴奏を務めていたジルベール・ベコーに引き合わされたことで、また新たな作品が生まれる。「メケメケ」など数多くの曲がベコーのヴォーカルでヒットした。
海外巡業や50を超える映画出演、そして多くのヒット曲を生み出したアズナブールは更に活動の場を広げ、63年には<カーネギーホール>へ出演、そして65年の<オランピア>でのワンマンショーでは予定していた3週間公演が、急遽12週間に延長されるほどの人気を博した。
日本にも3度訪れ、現在も活動を続けている。
<代表曲> ![]()
酔いしれて 〜 J'ai bu 日曜日は嫌い 〜 Je hais les dimanches ジザベル 〜 Jezabel メケ・メケ 〜 Me que me que ラボエーム 〜 La boheme 世界の果てに 〜 Emmenez-moi